Takara Gakuin International, Inc.
Global educational service – College and High School preparation
SAT, ACT, SSAT, TOEFL, ESL, GRE, GMAT,英検、現地校勉強ヘルプ、小論文、日米の数学/理科、カレッジエッセイ、スカイプ指導
この度は、宝学院にご興味をお持ち下さいまして、有難うございます。 お陰さまで私達は今年(2021年)、創立36周年を迎えます。これもひとえに、私達の教育理念に共感し、ともに歩んで下さった生徒さん、保護者の皆様のご支援の賜物です。以下、私たちの教育理念をよりよくご理解いただくための、Q&A 紹介文です。ご一読頂ければ幸いです。
Q.宝学院の先生の名前を教えて下さい。
A.柳澤 穣治 (George K. Yanagisawa )、柳澤 有理子 ( Yuriko I. Yanagisawa )
子供たちは、「ジョージ先生、ゆりこ先生」と呼んでくれています。
Q.宝学院の対象学年・住所。
A. 生徒さんの多くは、中高校生ですが、下は幼稚園から上はMBA入学を目指す社会人まで指導します。 日本人だけでなく、アメリカ人の学生さんがSAT/ACTや現地校の補助を求めて指導を受けに来ています
<卒業生Who’s Who? # 14>
今、マンハッタンで駐在員として勤務しているKK君。入社2年半でNY駐在の大抜擢です。送ってくれた写真はタイムズスクエアの広告に出ている大谷翔平を見上げる図。君もビジネスの世界のShoheiになってください!(文中のHSK6級というのは中国語検定の最上級であることを今回、初めて知りました。英語も中国語も最上級。立派です!)
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このような機会を頂戴し、ありがとうございます。
私は中2から高3まで、単身留学で米国におりました。
宝学院では特に高校時代、英語、国語、数学など様々な科目でお世話になりました。
NJのパラマス校、CTのグリニッジ校、寮の自室からのスカイプ授業(時代ですね)、先生方のご自宅など、色々な環境で学ばせていただきましたが、いつも全力で熱血指導のお二人には大変お世話になりました。
私にとっては親と離れ、高校生という大変な時期に日本にいる両親に代わり、先生たちは息子のように生活面まで含めて教育して下さいました。ご自宅に泊めて頂いたこともあります。今振り返ると宝学院、先生方には本当に頭が上がりません、、、
ジョージ先生には学校で使っていた同じ微積の教科書を手元にご準備いただき、一緒に予習をしながらご指導いただきました。ゆりこ先生には「単語、単語」とご指導いただき、TOEFL、英検対策等でお世話になりました。 「単語はやらないと取れない。けれど、やれば取れる。」当たり前のことですが、お二人のアドバイスとご指導のお陰で腑に落ち、成長できました。
帰国後は慶應義塾大学の経済学部に進学し、学部の勉強の傍ら中国語の勉強をしました。コロナもあり実際に中華圏に行くことは叶いませんでしたが、宝のDNAが刷り込まれていたのか、「結局大事なのは単語」という宝学院の教えを意識した結果が、HSK6級の取得になったのではないかとこの機会を通して振り返っています。
そして大学を卒業してからは金融機関に就職し、現在NY拠点でIT関連の仕事をしております。英語でのIT業務で、また単語を勉強しながらの毎日ですが、仕事も生活も充実して過ごせているのは当時の勉強があったからかなと感じています。
宝学院では、「大変でも泥臭い勉強をすることはとても大切である」ということを学ばせていただきました。私にとっては、あの時の経験が今に活きていると思います。
現役生のみなさん、他のOB/OGの方々が寄稿されていると同じく、皆、当時は大変な経験をしてきました。今は目の前のことに追われて実感できないかも知れませんが、宝学院に通わせてくれたご両親、点数がどれだけ悪くても熱心に教えてくださる先生方を「ありがたい」と思える日が必ず来ると思います。今を大切に頑張ってください。応援しています!
最後になりましたが熱意と愛を持って親身に教えてくださったジョージ先生、有理子先生には大変感謝しております。本当にありがとうございました!
<卒業生Who’s Who? #13>
テニス少年だったT.K君。彼が「宝学院」を「宝」と省略形で書いてくれているのを見て、昔も今も、フルネームで私たちを呼ぶ人はいないよなあ、いっそのこと「宝塾」という名前にしておけば良かったかなと思いました(笑)。彼の時代のSATは本当に単語が難しかった。単語のレベルが易しくなった今のSATをみたら、当時の彼らはどんな感想を持つのでしょう。常に結果を残すことが求められる厳しい環境で生活しているあなたが、お忙しい中、こんなにも心のこもった、ジーンとしたり、笑ったり出来る文章を寄稿してくれて、感無量です。添削するところなんて、どこもないですよ。100点を差し上げます!ありがとう!
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あれは忘れもしない、NJにある、とある高校で。私はフランス語の授業中、フラ語を勉強していると見せかけて、ひたすら英単語を暗記し ていた。すると運悪く先生にみつかってしまい、皆の前で怒られたのを今でも覚えている。でもあれはしょうがなかった。。。だって、放課後には宝での楽しい楽しい単語テストを控えていたのだから!(でも現役生の皆さんは真似しないように)それにしても、耳でフランス語を聴きながら目でみた英単語を脳にインプットとするなんて、今思うと我ながら器用にやっていたものだ。今も存分に活用している マルチタスク能力はこれで身につけたんだと思う。宝、ありがとう!
卒業生、現役生、または宝での受講を検討している皆さん初めまして。宝を2000年に卒業したT.Kです。当時同じクラスで切磋琢磨したA さんから聞きつけて、私も宝に足跡を残すべく書かせてもらいました。私はもともと小2から中2までイギリスに住んでおり、アメリカにはFreshman Yearから住み始めました。イギリス生活のおかげで日々の英語に苦労した事はなかったのですが、大学受験となると話は別。SATに出てくる 英単語、いったいいつどこで使うんだ、と今でもツッコミたくなるくらい難しいですよね!?そして、”帰国子女あるある”の日本語(&英語 以外のその他多くの科目)があまり得意ではない問題。全てが中途半端な自分を助けてくれたのが、ジョージ先生とゆりこ先生でした。ありがとうございました!お二人に出会わなければ、今頃どうなっていた事やら・・・。
皆さんが言及しているあの英単語学習システム(半強制インプット&繰り返されるテスト)が凄いのは、SATに必要な単語を覚える事が出 来るのはもちろんの事、それ以上に英語に対する「嗅覚」を磨ける事にあると私は思います。知らない単語でも、その綴りや発音した時 の響きなどからその単語の意味を当てる事ができるようになっている人も多いのではないでしょうか。今必死に勉強している皆さん、是非、先生方を信じて頑張って下さい。英語のレベルに関係なく、必ず役に立ちます! 因みに、娘が今、英検の勉強をしていますが、ご想像いただける通り、「英単語カード」を作らせています(笑)
そんな私ですが、帰国後の大学生時代はひたすらテニスに打ち込みました。警察官になるという若かりし頃の正義感溢れる夢はいつの間 にどこに行ってしまったのか。法律を勉強するはずが、テニスをした記憶しかありません。気がついたら大学を卒業し、世界中を騒がせたリーマンショックを引き起こした張本人(会社)にて会社が潰れていく様を見守ったのを皮切りに、外資系証券会社を渡り歩いていま す。スポーツでも仕事でも、とにかく結果を残す事へのプレッシャーが重くのしかかる環境に身を置いてきましたが、何事にも一生懸命取り組む姿勢を宝で叩き込んで頂いたおかげで、なんだかんだサバイブしています。
多くの帰国子女同様、私には、小学校・中学校・高校の同窓会案内は届きません。それぞれが途中で転校していたり、卒業した学校が海外 だったりするから。でも、高校生という多感な時期を海外で過ごし、当時の限られた情報の中で、大学受験という人生における一つの大きなハードルを共に乗り越えた宝の仲間達とは今でも繋がっていて、いまだに、お互い良い刺激を与えあえていると思います。宝では、一生の友達を作る事ができました。私にとってはそれが何よりの「宝」物です。
改めて、ジョージ先生・ゆりこ先生、どうもありがとうございました。これからも当時の私達にしてくれたように、現役生の皆さんを指導してあげて下さい。そして現役生の皆さん、今を存分に楽しんで下さい。
長くなりましたが、それではゆりこ先生、添削お願い致します。
<卒業生Who’s Who? #12>
アメリカの大学を卒業して日本の企業に就職したAさん。仕事と子育てを両立するお忙しい日々の中で寄稿して下さいました。親子2代での単語リストユーザーです。
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私は1989年、10歳の時に日本から米国ニュージャージー州の現地校に転校しました。ESL卒業後も英語力は十分とは言えず、現地校の授業についていこうと必死でした。大勢の前で英語を話す自信がなく、ネイティブ•スピーカーとの違いに落ち込むことも多かったです。
そのような状況で宝学院に入学しTOEFL/SAT/小論文の勉強を始めました。単語カードを懸命に書いて覚えたのが良い思い出です。TOEFLの試験に慣れるため、毎週土曜日早朝から自宅で試験を受けては自己採点し、復習をしました。ジョージ先生とゆりこ先生の温かいご指導と、クラスメイト同士の励まし合いのおかげで、TOEFL・SATのスコアが少しずつ伸びていきました。すると、それに比例するように現地校の成績が上がり、勉強が楽しくなりました。宝学院の単語帳を一通りカバーしたころ、学校の英語の先生に廊下で呼び止められ、最近あなたのエッセイがとても良いと褒めて頂きました。そのような嬉しい出来事の積み重なりが、もっと英語を極めたいという思いに繋がっていきました。
高校卒業後、私はアメリカの大学に進学しました。大学の寮では、様々な文化を背景に持つ学友達と寝食を共にし、英語漬けの日々を過ごしました。夏休みは授業を前倒しで受講し単位を稼ぎ、大学4年生のタイミングで半年間、中国北京の大学で語学プログラムに参加しました。冬休みには、アメリカでインターンも経験しました。私にとって、大学での4年間は、かけがえのない財産となりました。
今はパナソニック(株)海外マーケティング部門に勤めて、今年で約20年になります。宝学院で培った英語力は、現在のキャリアを多方面でサポートしてくれています。入社直後から、大きな会議で同時通訳を任されたのですが、「英語と日本語の単語を瞬時に正しく訳せなければバイリンガルではない」というジョージ先生のお言葉を思い出し、自分の仕事を振り返っておりました。
マーケティングに携わっていると、「言葉の研ぎ澄まし」にSynonymの知識が役立ちますし、議論がはずみます。自分の興味がある分野に関して、博識な方々とワクワクしながら仕事に取り組めるのも、SAT単語リストなどの地道な勉強の結果であり、大きな恩恵だと考えています。宝学院での学びは、社会人になってから、経験の幅を大きく広げてくれました。中高生の時は全く想像もしていなかった国々を訪れることが出来たり、色々なことにチャレンジ出来たりしています。私の人生が彩り豊かになりました。
今は英語プレゼンも特技の一つとなりました。仕事の都合上、他言語の習得も続けていますが、やはり高校~大学生で覚えたことは一生忘れないと実感します。脳がスポンジのように単語を吸収できた学生時代に、宝学院の単語帳に出会えたことは本当に幸せでした。最近、息子がTOEFLの勉強をする年頃になり、Facebookで宝学院の新単語帳を拝見し、先生にご連絡をさせて頂きました。
今後、息子の勉強を助けてくれる一冊になるものと感謝しております。『親子2代』で宝学院の単語帳にお世話になります!(2枚目の写真は私の単語帳と息子の単語帳です)
<卒業生Who’s Who? #11>
今回登場してくれるのはHちゃん。CAになるという夢を実現して、世界中を飛行中です!
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私は父の転勤で高校3年間をNJのTenaflyで過ごしました。アメリカに引っ越すまではスポーツと遊びが第一で、勉強が大嫌いだった私を勉強漬けにしてくれたのは宝学院でした。
英語も数学も大の苦手で、授業中にジョージ先生や他の生徒の前でポロポロ泣いたこと、冬季講習でパラマス校からグリニッチ校までの道のり、ジョージ先生に車酔いしないか心配されながら助手席に座って一緒に勉強してもらったこと、疲弊する私にそっと寄り添って撫でさせてくれた癒しのサンダー...思い出すと切りがありません。今でもよく、「どうやってTOEIC勉強してるの?」と聞かれるのですが、私には現地校の宿題、宝の宿題、それに加えて毎週300個英単語を覚えてテストを受けていた高校時代が基礎としてあるために、なかなか人に教える事が難しいと感じています。それくらい私の頭の中の土台は宝で出来ています。正直アメリカの思い出は?と聞かれると、勉強していた事ばかり思い返されます(笑)。でも勉強が嫌いだった私が何故あそこまで頑張れたのか、それは紛れもなく宝学院のおかげです。今でも単語カードと単語リストは実家で大切に保管されています。たまに見返すと、自分の汗と涙が見えるような気がして、私の大切な青春の宝物です。そして何より、どんなに出来なくても見捨てずに最後まで支えて下さったジョージ先生と有理子先生には本当に感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
帰国後は第一志望だった青山学院大学に入学。文学部英米文学科に入り、引き続き英語の勉強に力を入れ、卒業後は第一志望だった航空会社に入社して、客室乗務員(CA)になるという小学生の頃からの夢を叶えることが出来ました。CAの仕事は、お客さまから見える景色と、中から見る現実のギャップがとても大きく、最初は戸惑うこともありました。でもどんなに辛い訓練も仕事も、「あの高校時代に比べたら大した事ない!あの時の方が頑張っていた!」と思える、今でも宝学院はいつも私を鼓舞させてくれる存在です。機内でもこれから駐在に向かう方や、一時帰国で日本に戻られるお客さまに出会うと「応援したい!」と、つい熱が入ってお節介をしてしまいます。日々色々な国や日本中をフライトしますが、住んでいた時から既に何年も経っているのに、NYは行くと何故か毎回ホッとして、「帰ってきた〜」と思える、私の第二の故郷です。
写真は1枚目がロンドン、2枚目は、私がCAになってから大好きになったステイ先、フィンランドのヘルシンキです。去年、本場のクリスマスマーケットに行く事ができました。綺麗な街並み、自然豊かで食事も美味しく、現地の方もとってもお優しいです。皆さまも機会があれば是非...♡
今回この連載を通して、日本国内や世界中で活躍する宝学院の素敵な卒業生が沢山いらっしゃる事を知りました。私も参加させて頂けてとても光栄です。「この機内にも宝の卒業生が乗っているのかも...?」と不思議なご縁を感じつつ、私は今日も空を飛びます。
10人目に登場してくれる卒業生はAさん、ドイツからの投稿です。Aちゃんが私がかけた言葉をいまだに覚えてくれていたとは、、。責任の重さを改めて感じました。
只今、ドイツでお仕事をしながら子育て中。海外での子育ては悩みの連続。でも真剣に悩んで子供と向き合えば、道は必ず開けますよ。頑張れ〜!
<卒業生Who’s Who? #10>
私は、中二に渡米してから高校卒業までの五年間、宝学院に通いました。
ジョージ先生といえばお髭と蝶ネクタイ!有理子先生は、いつも包み込んでくれるような笑顔で迎えてくださいました。ちょっと落ち着きのない黒ラブのマックスに会えるのも楽しみでした。
サタデースクールでは、志賀直哉や川端康成などの日本の代表的な小説を読んだことも心に残っており、それから小説を読むのが好きになりました。アメリカの大学に進むことを決めていましたが、日本の大学を目指す仲間に混じって、有理子先生の小論文のクラスを取ったことも良い思い出です。
社会人になってから通訳案内士の資格を取ったのも(取っただけで使ったことはありませんし、もうすっかり忘れましたが…笑)、宝学院でしっかり学ばせてもらったことで、日本人として知っておくべき地理・歴史や一般常識を学び直す機会になる、という思いがあったからです。
有理子先生には「Aちゃんの勉強への姿勢は、ソースのようではなく、醤油みたいにサラサラしている」と優しく怒られたことがありますが、その通り、単語テストは満点ではなく「まあまあ」の点数ばかりだった気がします。(笑)
大学卒業後は、帰国してホスピタリティ業界へ。各国大使館が自分の担当クライアントだった営業時代は、特に刺激的で充実していましたが、結婚を機に渡独。それから早14年が経ち、現在は特許関連の仕事に育児にと毎日楽しく過ごしています。
英語力もドイツ語力も身につけるのに苦労した私からすると、スポンジの様にドイツ語を吸収していく子供達に感心しつつ、日本人家庭でありながら外国で日本語を学んでいく大変さも目の当たりにしています。現地校の勉強がどんどん大変になるこれから、単に日本語能力だけでなく日本人としての教養をどこまで学んでいってほしいのか、身につけていけるのか、親としても悩ましいところです。
そして、去年は十年ぶりにジョージ先生と有理子先生に会いに行くことができました。相変わらず大きなワンちゃんが幸せそうにお二人の傍にいたり、自分の子供達が先生と話しているのを見たり、様々なことについて話したり…感慨深いものがありました。
私にとってのお二人の存在は「塾の先生」という一言では表せません。
英語ができないことで自信をなくすことも多かった現地校。勉強は大変でしたが、宝学院の存在は私の心の支えでもありました。帰国子女としての自分のアイデンティティを確立させることができたのも、お二人と、そこで出会えた友人の存在が大きいと思っています。
そうして、宝で一緒に頑張り、かけがえのない時間を過ごした仲間は、25年以上経った今でも刺激をもらい、遠くから支えてくれる大切な人達です。
ジョージ先生、有理子先生、また会いに行きます!ドイツでもお待ちしています。
Happy Valentine’s Day! ❤️ 今回、登場のS君は #5と 、Mさんの兄上です。昼休みに犬のマックスと全力疾走!「先生、やっぱり犬は速いですね」と、ゼーゼー息を切らしながら報告してくれた日のことを思い出しました。ちなみに、マックスは100m10秒で走る犬でしたが、S君、いい勝負でした。
社会人になってからも私たちを覚えていてくれて、一緒にMBA受験を乗り切ったことは、私たちにとっても心に残る良い思い出です。S君、本当にありがとう!
<卒業生Who’s Who? #9>
私は父の仕事で渡米し、13歳から18歳まで米国にいました。
その際は、サタデーから始まりTOEFL対策、SAT・SAT2対策とかなり幅広くご指導
をいただきました。加えて、30代中盤になってから社会人としてMBA受験をすることになり、その対策のために試験からエッセイまで広範な指導を受けました。
なので、自分は「宝純正培養人間」だと思っております。
さて、初めて宝に通ったのは、もう20年以上も前になりますが、サタデースクールです。
今思うといわゆる中二病を発症していて、全く他の生徒と話すことが出来ず、若干やさぐれていた中で、犬のマックス、そのあとお迎えされたサンダーと年中一緒に散歩をして遊ばせていただき、心を癒してもらっていました。
また、結構宿題の量が多く、いつもヒーヒー言いながら必死に宿題をやっていたことはとても懐かしいです。
宝と言えば単語帳ですが、最初、自分は伸びが悪かったのですが、見捨てずにご指導いただいていたところ、ある時から急に点数が伸びました。
それが現在の英語のベースになっていると確信しています。
大学は日本に戻りましたが、英検1級もその時の宝パワーの蓄積で特に勉強しないで合格できました。
その後、社会人になり、入社した会社で社内MBA候補生に選ばれ、いろいろと考えた中、再度ジョージ先生にお話しを聞いてもらうことにしました。
コンタクトを取ってすぐ先生方からお返事をいただき、ジョージ先生、ゆりこ先生がご夫婦でたまたま帰国するタイミングに、貴重なお時間を頂いて、対面でお話させていただきました。受験のプランを相談させていただく過程で、再度宝学院で勉強することを決意しました。
それから直ぐに、例のTOEFL単語帳とSAT単語帳をお送りいただき、こんなおっさんになってまた単語カードを隙間時間に3600枚作り、勉強を始めました。
MBA受験においては、SATではなくGREという試験を受けるのですが、SAT単語帳のすごいところは、この単語帳がびっくりするぐらいGREの範囲をカバーしているところです。
また、今回改めて勉強していて、単語帳内の単語が入れ替わっていたり、Synonymが少し変わっていたりしていることに気が付いて先生にそのことをお伝えしたところ、単語帳はちょこちょこ見直しをかけてアップデートしていることを知りました。
動きを止めることなく、しっかり最新のものを踏まえて進化させているあたりも、宝の凄さだと思います。
そして時差のため、日本時間深夜に週二回ほど、時には他の高校生に混ざりながら一緒に勉強させていただき、半年ほどで何とか必要な点数が取れるように仕上げていただきました。
今回の受験時の何よりの思い出は、願書出願の時期に急遽入院した際のことです。
突発的な病気になり、頭も朦朧として手も点滴の針だらけでまともに動かせなくなった中、ジョージ先生、ゆりこ先生、ケンちゃんの柳澤家オールスターズに全て助けていただき、提出期限ギリギリに何とか出願出来たのは、間違いなく宝学院以外ではありえないです。
なお、現在はMBAを卒業し、商社の駐在員としてイギリスにある小さな店の支店長として業務に従事しておりますが、業務中に珍しい単語を見ると今でもたまに宝の単語帳とSynonymがフラッシュバックします。
さすがにもう出戻りをすることはないと思っておりますが、もしそのようなことがある場合も、また宝学院で勉強させていただきたいと思えるほどジョージ先生、ゆりこ先生ともに大変、愛にあふれている先生です。
今も昔も変わらず非常に親身になって指導してくださったことに、心から感謝申し上げます。
前回登場のYさんの弟のK君が寄稿して下さいました。最後の一文に大笑い。当時も今も、生徒さんの文章に赤を入れる日々は変わっていません。
<卒業生Who’s Who? #8>
父親の仕事の都合で1989年に渡米。10年生の終盤に突然父親の帰任が決まり、卒業を早める事になりました。サマースクールで必要な単位を取得して、次学年の11年生をスキップし、突如1学年上の姉と同級生の12年生になりました。
勉強は苦手で、大学進学に関心なく過ごしていた所、急遽、大学受験の流れになり、その際に前回投稿の姉と共に宝学院にお世話になりました。
宝学院の思い出は、やはり英単語。周りのみんなが満点を取るかとらないかという中、大体いつも40点台。稀に半分、正解できたこともあったか。こんな生徒をよく見捨てないでいてくれたものだ、と今更ながらジョージ先生の懐の深さに感謝です。
唯一褒められた事として、朝日新聞の「天声人語」の書き写し。これは苦手な勉強ではなく、いわゆる”作業”や”練習”みたいなものだったから、ほぼ毎日書いていた記憶があります。これをすれば何かの役に立つのであれば、というせめてもの気持ちだったような。
そんな作業を毎日やる人は他にはいなかったようで、終わってみれば提出数ダントツ一番となり、「よくがんばったで賞」としてクロスの水性ボールペンを貰いました。これは今でも筆箱に入れてありますよ。
そんなこんなで、TOEFLもSATも願書受付ラインまで達する事ができました。
そして願書に添付する小論文です。自分の思いが書かれた随分つたない文章だったのが、ゆりこ先生の手にかかると、原文から内容を変えず、真っ赤に添削され、素晴らしい文章になったものが返ってきました。そのまま「引用」させていただき、提出。
見事、当時書類選考のみで合否判定されるICUと上智比文の2校に合格できました。
(単語を覚えていなくてもある程度の点数が取れている事例が、今後の塾運営に影響無いことを願っています)
帰国後、学校見学を経てICUに進学する事にしました。
卒業後は日系の自動車部品メーカーに就職。ほどなくしてその会社がドイツの自動車部品メーカーに買収され、意図せず外資系勤務となりました。やたらとTOEICの点数を重要視する会社だったのですが、まったく問題無く社内基準をクリアできたのは、高校生の頃の特訓の成果かと思います。
在職中に東京で東日本大震災を経験して、都市の災害に対する脆さを改めて実感。物流が滞り、生活に必要なあらゆる品が入手困難になり、お金があっても物が無いから買えない、という状態がしばらく続きました。小学生の頃から自然いっぱいの所で暮らしたい、という思いがありましたが、そこに食材へのアクセスが近い所での暮らし、という考えが加わりました。
さらに、お金の価値もどんどん変わる世の中。都市で生活していくにはお金が不可欠。そのお金を稼ぐ手立てはサラリーマン業の経験しかなく定年以降の現金収入のイメージが沸かない。それならばいっその事、金銭のやり取りが少ない環境での生活を目指すのでも良いのでは、という考えも。
考えれば考える程、自然豊かな環境での生活が自分のやりたい方向かな、という考えに至りました。
そして今までの都市での生活からガラッと変わる事をするのであれば、まだ体力が残っているうちが良い。という判断で、勤務していた会社を辞めて、2022年、46歳で奄美大島に引っ越しました。
今の生活は、第三セクターに勤務して、残業無しの就業時間きっかり8時間、そこで必要最小限の現金収入を得ています。それ以外の時間で食料を得るべく試行錯誤中。近所の田んぼと果樹畑を手伝って、その収穫物をいくらか分けてもらったり、無料で借りている畑で出来るだけお金をかけない野菜作り、そして近くの海で釣りをしたり、など。今の所、自給出来る程、野菜作りは上手くできていません。ご近所の人たちが分けてくれる野菜で、結果的に一年以上野菜を買う事無く生活できていたりします。ご近所の皆さんの善意に生かされております。
今の状況にめげず、この先も、自給できる分くらいの野菜を、肥料、農薬、機械を使わずに、自家製堆肥と農工具(鍬とかスコップなど)で採れるように。種も自家採取で、どんどん奄美の気候にあった野菜が作れたら嬉しい。
釣りも、安定的に現地で餌を捕まえる所から始まり、安定的に釣果を残すべく、色々と試している最中。魚種も貝も本当に豊富!奄美の海万歳です。
地球への負担も、懐の負担も併せて軽くなる。そんな試行錯誤を楽しんで続けて行けたらいいなと思います。
田舎暮らしは悠々自適、というイメージがあるかと思いますが、なかなか日々忙しく過ごしています。ゆったり悠々な感じは全然ないですね。
最後に…、ICUに入学して、そこで妻と出会い、その妻の故郷である奄美大島で、今、暮らしています。
そのICUに入れたのも宝学院なくしては成しえない事だったと思っています。
今の生活の源流は宝学院だったのか!と改めて思い出させてもらう事ができ、大変良かったです。今更ながら、ありがとうございました。
この文章、ゆりこ先生修正入れたくなるんだろうなぁ、と思いつつ、これにて終わります。
今回の「卒業生Who’s Who?」は私が息子を妊娠中に指導していた生徒さんです。小論文の授業を終えると、妊婦服のお腹のところがチョークで真っ白になっていたことを思い出します。就職された後に、企業から派遣されて、国連でも勤務しておられました。
<卒業生Who’s Who? #7>
1989年、父の転勤に伴い中学3年生になるタイミングでNJ州に渡米し、高校卒業までの4年間を過ごしました。大学入試の準備のために宝学院に通う事になりましたが、数年しか日本を離れていないのにも関わらず日本語できちんとした文章や文字が書けない自分に愕然とし、一方英語は日常的に苦戦しており当然SATもTOEFLも点数が満たない、、。大学に行く義務は感じつつ、必要性には疑問を抱える中での入試準備でした。遅いスタートだったため、通い始めた当初は焦りばかりが募っていたのを覚えています。
そんな中、ジョージ先生やゆりこ先生が大学の情報や卒業生のお話しをとても親身にしてくださり、徐々に大学進学に向けて気持ちを切り替える事が出来ました。そのお話しの中で「最近新しい学部が出来て面白いところがある。向いていると思うのだけど」と教えてくださった学校に私も興味を持ち、結果としてその大学が私の母校です。
当時は日本のリアルタイムな情報入手は困難で費用も多くかかる時代だったため、先生方からの助言と提案がなければ辿りつかなかった志望校だと思い感謝しております。大学では恩師や友人に恵まれ、マーケティングへの興味など自分の世界が大きく広がり、進学して本当に良かったと今も感じています。
宝学院での勉強は強烈で、30年以上経った今でも鮮明に記憶しています。宝学院に向かう車の中で単語帳や構文を必死に覚え復習したり、家では天声人語を速く綺麗に書けるよう練習したり…人生であれほど追い込まれ、勉強したことありません(それ以降しなさすぎなのかもですが…)。先生方の愛情と根気強さ、真剣さが伝わり「やりきる」ことを学べたのだと思っています。
大学卒業後は日本と米国企業のジョイントベンチャーとなる半外資系企業に就職したつもりでしたが、紆余曲折あり就職先は同じまま数年前に100%日本企業となり、新たな文化に翻弄される日々です。プライベートではチョコレートとお酒を追い求め、そこで英語を使う時に、高校時代の苦労が少し報われた気持ちになります。
ジョージ先生がかつて仰っていた「お日様が上がると共に生活を始め、日没と共に終える大草原の小さな家のような生活」「2拠点だと線にしかならないが、3拠点だと面になりより大きな視野で捉えられる」がずっと私の心に残っています。いつか私も吉祥寺/パリ/NYで3拠点の生活がしたいと長らく思いながらもまだ2拠点生活の目途すらたっておらず、何なら吉祥寺は職場から不便で1拠点目も未達です。そして残業しがちでお日様ともあまり縁がありません。
それでも人生100年時代にあやかり、長い目で実現に向けて動いていきたいと考えています。ジョージ先生とゆりこ先生から頂いた数々の言葉や当時の想いが私のその後の30年にとても影響していると、今回改めて感じました。出会いと根気強く関わってくださったことに感謝です!
<卒業生Who's Who #6>
妹からバトンを受け取りました!
私は10歳で父の仕事の関係で渡米し、15歳で帰国しました。
宝には中学時代の3年ほどお世話になりました。
5年間のアメリカ生活を経ても、宝でしっかりと国語と数学を教えていただいたおかげで日本に帰ってからも困ることは少なく、本当に助かりました。
英語に関しては、"英単語"という英語における基礎体力の部分をしっかりと宝で鍛えていただいたおかげで、英検1級にも15歳の時にすんなり合格し、その後の高校時代の帰国子女用の英語のクラスでもばっちりトップでした。近くに住む同級生と1時間以上かかる宝学院へ向かうカープールの中で必死に英単語を覚えていた日々が懐かしいです。
ジョージ先生には授業中の居眠りで怒られることもありましたが(笑)、厳しくも優しいジョージ先生と有理子先生が大好きで、宝学院に通えて本当に幸運だったと思っています。
大学は日本の医学部に進みましたが、在学中にアメリカの医師免許も取得したので、医師3年目でアメリカ・NYへ戻り、ジョージ先生と有理子先生に再会でき、成長した姿を見せることができて嬉しかったです。
NYで5年ほど医師として修行を積む中、Thanksgivingなどの際には美味しいご馳走をいただき、まるで娘のように可愛がっていただきました。(写真は2020年冬にNYCに長男の初クリスマスにプレゼントを持って立ち寄ってくださったジョージ先生との思い出の一枚です)
現在は日本へ戻り、2人の男の子を育てながら大学で教員として働いていますが、医師の仕事だけでなく教育に携わりたいと思った原点に、ジョージ先生と有理子先生の愛あふれる指導があります。
また今年か来年あたりにアメリカへ戻ろうかと模索中ですが、自分の子供たちにも宝のような素晴らしい教育環境が見つかるか今から不安です…
先生方には、是非、あと15年ほど頑張っていただけるととても助かります!よろしくお願いしますm(_ _)m
<卒業生Who’s Who #5>
私は父の駐在で、小3から中1までの5年間をニュージャージーで過ごしました。父の仕事次第で、いずれ帰国となるので、現地校に通いながらも、並行して日本の勉強も必要でした。
宝学院は私にとって、マスコットの犬サンダーに会える心地良い場所、第二のホームでした。小学校低学年の時、宝学院でサンダーと遊びながら、兄と姉の授業が終わるのを待っていました。小学校高学年・中学生になってからは、私自身も授業を受けるようになり、単語や漢字など、勉強する場所へ変わっていきました。受験等の勉強だけでなく、日本人の教養として古典を学んだことが印象的です。未だに、平家物語の冒頭を暗唱できます。宝学院は、目先の点数アップにとどまらない、日本人としての常識となる素養、アイデンティティを得られる場でした。
ゆりこ先生、ジョージ先生のサポートもあり、帰国後は希望の私立中学校に編入し、なんとかついていくことができました。大学では、教育学と英語学を学び、教職課程を履修しました。在米中に学んだスペイン語も同時に取り、英文学科とスペイン学科、学内初のダブル履修を4年間に修めました。
卒業後はイギリスの大学院で教育学を学び、帰国後、英語教師になりました。
アメリカでの滞在、宝学院で学んだことは、現在、中高一貫校での授業に活かされています。帰国子女への授業をメインに、一般生にも教えています。宝学院の授業は、私の英語教育の原点です。
親の赴任による海外生活は、ダブルでハードな二重学習生活!現地校と塾の勉強の両方がのしかかります。そんな中、学ぶことの意味を問われる時だと思います。人生を豊かに生きる、自分のアイデンティティを築いて生きていくのに、身につけるべきは何か。
宝学院のゆりこ先生、ジョージ先生が、私の人生の過渡期に、親身かつ合理的にサポートして下さったことに、とても感謝しています。
宝学院の皆さんの頑張っている勉強は、きっと未来の土台になると思っています。
(写真は宝学院に通っていた頃の私です)
<卒業生Who's Who? #4>宝で一緒に学び、大学の同窓でもあるYSさんから”卒業生Who’s Who?”のバトンを受け取りましたTJです!
宝といえば…
当時Larchmontの教会の2階にあった教室、友人とカープールして通ったNJでの夏期講習、ジョージ先生のよく響く渋い声に渋い髭、ゆりこ先生の満面の笑顔、そして単語帳(笑)。
などなど、もう20年以上も前ですが、今でもいろんなことが思い出されます。
私が父の転勤に伴い渡米したのは中2の夏。当時、中学受験で希望の学校に入り、充実した日々を送っていたところでした。そのような中で、わざわざアメリカに行くことに魅力を感じず、家族に説得されながら嫌々ついて行ったというのが、私のアメリカ生活の始まりでした。
英語力も、中学で1年ちょっと勉強した程度では全く使い物にならず、ほぼゼロからのスタート。一方で、年齢的には学校の勉強もそれなりに必要で、テストやレポートなど最初はかなり苦労した記憶があります。テストの問題文の意味すら分からない、ということもザラでした。
そんな状態からは、どうにかこうにか脱しましたが、High schoolの最後数年は大学進学の試験対策のために、兄も通っていた宝にお世話になることにしました。
SATもTOEFLも、「例の単語帳」が本当にためになりました。
毎回の授業冒頭での単語テストでは、絶対に満点を取りたくて、ひたすら単語帳を覚えていきました。そのおかげで試験では、「これ単語帳にあったな」という言葉がたくさん出てきて、SATのverbalはsynonyms、antonymsなど単語の問題でもかなり点数を稼げた記憶があります。まさに「単語帳さまさま」でした。
おかげさまで、希望の大学に合格することができ、大学生活を満喫させていただきました!
今は、小学生の娘を育てつつ、シンクタンクのコンサルティング部門で働いています。組織・人事領域を専門として、人事に関わるあらゆる課題、例えば人事戦略策定や人事制度設計、人材育成や組織開発など様々な支援をしています。直接的には、英語を使う機会が少なくなりましたが、ときどき英語の資料を読むと、今でも「あー、これ単語帳にあったわ」と思い出すくらい染みついています(笑)
あの時がんばっておいてよかったとつくづく思います。
指導してくださったジョージ先生、ゆりこ先生には感謝しかありません。時を超え、こうしてまた繋がることができたことをとても嬉しく思っています。
改めてありがとうございました!
<卒業生Who's Who? #3>FBでTAKARAの投稿を見つけて、ゆりこ先生にコンタクトしたことがキッカケで投稿することにしました。 1994−1997年に在籍していたYSです。 当時、日本の高校2年の夏に父の転勤でNYに移住。しかし日本の高校での英語の成績は振るわず、そんな状態で学年を下げて10年生から公立のEastchester高校に編入しました。 渡米して直ぐにサッカーのサマースクールに入ったのですが、まぁ英語はちんぷんかんぷん。ルームメートのPizzaの発音が全く聞き取れず、英和辞典を手渡して単語を指差して教えてくれて漸く「ピザね!」と理解したレベルでした。 そこからの3年間、クラブ活動と学校の宿題、Takaraの勉強を三立した日々は、今振り返っても人生で最も努力した時期でした。先生のご指導もさる事ながら、Takaraの学友(悪友?)にも恵まれて、帰国子女入試では第一希望の慶應に合格することができました。慶應の絆は本当に強く、当時のテニスサークルやゼミの仲間とは今でも頻繁に会いますし、今週末の連合三田会にも行く予定です。 社会人になってからは、インド事業に携わりムンバイに新婚で駐在し、現地で娘も産まれました。その後、東南アジアの小売事業、そして今はグローバルアライアンスの部署で米国の大手ITベンダーとの交渉を担当しています。 今振り返ってみると、海外や英語に縁もゆかりもなかった自分が、突然の父の転勤でNYに移り住んだことで人生が大きく変わりました。当時は父を恨みましたが、今では高2の私を思い切って帯同した父の決断に感謝しています。 私には中1の一人娘がいますが、私が仕事で多く海外と接する姿をみて、国際系の学校に進学し将来留学を希望しています。こうやって世代を超えてグローバルに関わる礎を築くことができたのは、TAKARAで英語と日本語小論文の基礎体力をつけてもらったお陰です。ジョージ先生、ゆりこ先生、改めて感謝申し上げます!!
<卒業生Who's Who #2>
皆さん、こんにちは。宝学院卒業生"Who’s who"のバトンをKeiichiより受け取りました、atsukoです。
私もKeiichi同様、今から30年ほど前に父の転勤でTenaflyに移住し、宝学院でジョージ先生、有理子先生に大変お世話になりました。
私は日本の中学校を卒業後すぐの渡米だったので、日本の公立校で学んだ英語力のみでは現地校の授業について行くのがやっとの日々…
正直、アメリカでの高校生活は毎日がいっぱいいっぱいだった記憶しかありません(笑)。
一方で、大学は日本での進学を希望していたので、 帰国子女受験には必須なSAT、TOEFLはジョージ先生特製の「TOEFL単語リスト」「SAT単語リスト」をひたすら覚え、日本語の筆記試験対策は有理子先生の熱いご指導による小論文の練習を繰り返し行いました。
自分なりに頑張った甲斐があったのか、帰国後の大学受験では志望の私立校だけではなく、急遽チャレンジした国立大学の合格も手にすることができました。
大学では経営学を学び、卒業後は都市銀行で外国為替関連に携わっていました。中でも貿易に興味をもち徐々に「実際にモノを動かしてみたい」と思い、社会人7年目に農薬の商社兼メーカーに転職しました。
現在は化学農薬の原体(有効成分)の購入計画、輸出入、またその原体を使用した農薬製品バルクの製造計画、製造、輸出等、主にサプライチェーンの川上部分に携わっています。
取り扱っているモノはかなりマイナーで法律も絡みニッチな世界ですが、全て食に繋がっていると思うと、少しは社会貢献はできているのかな、と感じています。
今、皆さんは日本では経験できない沢山の素晴らしい事を体験し、様々なことを肌で感じ、目標に向かって日々努力していることと思います。
時には困難に直面したり、単語リストを投げたくなるくらい苦しいこともあると思いますが、数年後のなりたい自分を想像し、"今"やるべき事に精一杯取り組んでみてください。その努力や経験は必ず明るい未来に繋がっています!
そして、是非、その"今"も楽しんで下さいね🎵
GOOD LUCK!
atsuko
<卒業生Who’s Who?>
夏期講習も残すところあと2日。8週間の講習をキツく感じる年齢になりました💦。でもそれは、それだけ多くの卒業生が世界に羽ばたいて行ってくれているということ。今年の夏、ある卒業生が訪ねて来てくれて、その時の会話にヒントを得て、「卒業生Who’s Who?」を開始することにしました。宝学院で学んだ卒業生が、今、どこで、何をしているのか。宝での学びがその後の人生にどのような影響を与えたのか。今、後輩に伝えたいこと、などなど。卒業生の皆さんに自由にメッセージを書いてもらい、次の人にバトンをつなげてもらいます。第一回目はKTさんです。K君、トップバッターになってくれて、ありがとう!では、皆様、以下、卒業生からのメッセージをお楽しみ下さい!******
みなさんこんにちは。 私は今から30年ほど前に宝学院で学んでいました。今日は、「卒業生Who’s Who」ということで、卒業後どのような道を歩んだのか、宝学院で学んだことがどのように役立っているのかをご紹介しようと思います。
私は1990年の3月に父の転勤の為、日本からTenafly、NJに移り住みました。アメリカに来てすぐに8年生としてMiddle Schoolに通い始め、その後 11年生になった時に宝学院を知り、ジョージ先生のご指導のもとTOEFL、SATの対策を始めました。 私はアメリカの大学で電子工学を学びたかったのですが、TOEFL・SATのスコアが目指したい大学に出願するには充分ではなく、<ジョージ先生特製>「TOEFL単語リスト」「SAT単語リスト」で必死に単語を覚えました。結果、TOEFL、SATともに点数を伸ばすことが出来、無事、志望校に合格!自分のやりたいことを追求する人生が始まりました。
大学ではもちろん電子工学を専攻。大学卒業後は日本に戻って家電メーカーに就職し、今もエンジニアとして仕事をしています。自分の「好き」を「仕事」にしているおかげで、たとえ辛いことがあっても、負けずに頑張れているのだと思います。
皆さんは今、「何のために勉強しているのだろう? これが将来、何の役に立つのだろうか?」と立ち止まってしまうこともあるかと思います。私も高校時代は悩む時がありました。しかし、今、こうして振り返ってみると、あの時の努力が、あの単語カードと向き合った日々が、今の自分につながっているのだと断言できます。だから皆さんも、頑張った先には「好きなことを続けることができる」という、無限の可能性につながっていると信じてもらえたらと思います。
今年の1月からは仕事の場をアメリカに移し、カリフォルニアにあるスタートアップの会社で働いています。忙しすぎて時間が無い人たちが、少しでも「自分の時間」を作れるよう、忙しい人たちに役立つ、新たなサービスを開発しています。
これからも高校生の時につかんだ可能性をバネに、「自分が作りたい世界を自ら作っていく」ことを実現していこうと思っています。
次回の「卒業生Who’s Who」は、私の高校での親友、A.F.さんにバトンを渡します。A.F.さん、宜しくお願いします。
Keiichi T
春の青空に負けないくらい晴れやかな笑顔の写真が日本から届きました。添付されていたメールの文章も写真も、FBに載せて良いとの許可を本人からもらいましたので、ご紹介させて頂きます。*******
ジョージ先生、有理子先生
先日は就職内定のご連絡をさせていただきましたが、本日は大学院を修了したことをご報告したく、ご連絡差し上げました。
無事、経営学修士(MBA)の国際経営専攻マーケティングコースを終了することができました。
この2年間は毎日がハードスケジュールで忙しくない日がなかったです。それでも頑張って修了できたのは、先生方が鍛え上げて下さった英語力のおかげです。英語とマーケティングの知識があるからこそ、次のステップである広告代理店から内定をいただけたのではないかと考えています。
これから、現地校の年度末にかけてが先生方の大変な時期だとは思いますが、体調には気をつけて頑張ってください!
ついに完成!【ジュニア版TOEFL単語リスト】!!
宝学院といえば、<TOEFL単語リスト2600語>と<SAT単語リスト1000語>でしたが、この度、新しくTOEFL単語リストのジュニア版が完成いたしました。名付けて、<Jr. TOEFLリスト>です。英検2級取得を目指すのにちょうど良いレベルで、「3級、準2級、2級レベルの単語」、「日常生活でよく目にする単語」1200語を厳選してあります。早速、在校生に見せたところ、「日常、よく目にする単語ばかり」「すごく良い。アメリカに来てすぐの頃に、この単語リストで勉強したかった。」と好評でした!小学生、アメリカに来たばかりの人、英検2級がまだ取得できていない人に是非、手に取って頂きたい単語リストです。このリストを使って、一緒に英語を勉強したい方、今すぐご一報ください!
宝学院の卒業生の百武美沙さんがゲストスピーカーのイベントです。美沙さんは慶應大学医学部をご卒業後、NYCのマウントサイナイ病院で研鑽を積まれ、2年連続でベストフェロー賞を受賞されました。日米両国の医療現場で活躍しておられます。彼女の生き方は後輩世代だけでなく、私たち親世代にも希望と勇気を与えてくれています。美沙ちゃん、いつまでも応援しています!(以下、詳細)**********
応募フォーム
https://forms.gle/V6LvTmjGBV7JVSSo6
Event by 株式会社CureApp メディカルインターンチーム
Public · Anyone on or off Facebook
“医師の海外でのキャリア”
a. 目的
医師の働き方が多様化していく中で、様々な新しいキャリアに興味を持たれている若手医師が気軽に色々なスピーカーの話を聴き、また交流する機会を作ることが目的です。この企画の第3回として、CureAppの社内から医師でありそのスキルでUSチームを支えてくださっている、百武美沙先生にお話を伺いたいと思います。
b. 開催形式・日時
完全オンライン・2022年10月26日(水)19時〜20時(トークセッション)(20時より30分のオンライン交流会予定)
c. 第3回スピーカー
百武美沙さん
慶應義塾大学医学部を卒業。米国・NYのマウントサイナイ・ベス・イスラエルにて内科レジデンシーを修了し、マウントサイナイ医科大学にて緩和ケア・老年医学フェローを修了。帰国後は慶應義塾大学医学部・医学教育統轄センター助教を務めている。
関心は、終末期医療や精神保健、国際保健、公衆衛生、医学教育、働き方、ジェンダー問題、子育て、と多岐に渡る。
d. 対象
20〜30代医師対象(15名程度)
e. プログラム内容
開催趣旨説明 5分
トークセッション 30分
なぜ渡米されたのか
日本で働く理由
アメリカと日本の医師の働き方の違い
ニューヨークでの医師生活
緩和ケア・老年内科に込める思い
監修された 医学英語のお手本 について
妊娠・出産をされて
これからの展望
ご参加の皆様からのご質問などで内容は柔軟に変更いたします!
皆様からの事前質問を募集しております。ぜひ、google form でのお申し込み時にお知らせください。
質疑応答 20分
クロージング 5分
懇親会(自由参加) 30分
f. 応募方法
下記のGoogle formよりご応募ください。(本Facebook イベントへの「参加予定」では応募にあたりませんので、Googleフォームへの登録をお願いします)
g. 応募後のフローについて
運営担当が確認次第、当日のイベント用 zoom URLとともにメールにて、ご参加申し込み確定のご連絡をいたします。開催日時になりましたら、ご案内したURLより、zoomにご入室ください。
g. 参加後について
・希望に応じ、参加者のfacebookグループなどの作成を検討しています。
・今後作成予定のCureAppインターンブログにて内容の記事化を予定しています。
h. 運営:CureApp インターンチーム担当 小野、今村 &谷川
ご不明な点、ご質問などありましたら、メールにてご連絡ください
卒業生の人がFBで宝学院を見つけてお便りを下さいました。あまりにも懐かしく、嬉しかったので、ご本人の許可を得て、ここに掲載させて頂きます。当時も今も、宝といえば「単語テスト」、そしてもう一つの柱が「小論文」なのだなと、気持ちを新たにしました。お便りを下さったYちゃん、本当にありがとう!*****以下、お便り*******こんにちは。もう20年以上ぶりになります。当時ニュージャージーでジョージ先生、ゆりこ先生にお世話になり、その後、京都大学に進学致しました、YTです。宝学院のFBページを見つけ、懐かしく、思わず、メッセージを送らせていただきました。ジョージ先生もゆりこ先生も、お変わりなく、今も悩める在米日本人の受験指導を続けてらっしゃるご様子拝見し、感動致しました。
実は、2年弱ほど、夫の仕事の関係でサンディエゴに行っておりまして、少し前に帰国したのですが、なんと、そのサンディエゴでも、宝学院卒の日本人の方に出会ったんです!宝学院のNY校のご出身で、今はサンディエゴでお医者さんをされています。今や、先生の教え子達は、世界中に広がっているんですね!!
今は、帰国し、子供達の英語をキープさせるべく奮闘しながら、中学受験の勉強もスタートし、また、久々に受験というものに向き合う日々です。遠い夢ですが、「いつか、子供達をアメリカに留学でもさせられたらな」なんて思っています。「そんな日が来たら、、」と、宝学院で使った単語帳、捨てられずにいます(笑)!先生、その時まで、どうぞお元気でいて下さいね!
私が高校生の時の一度目の渡米は、英語に苦しみ、将来が不安で、大変に辛いものでしたが、今回の二度目の渡米は、本当に楽しく過ごせました。それは、英語が出来たからです。子供達の学校や習い事のサポートにも困る事はありませんでした(帰国してほぼ英語は使っていなかったのですが…)。私も勉強のポイントが分かっていたので、子供にアドバイスする事ができ、2年弱という短い期間にもかかわらず、現在小3の娘はスムーズに英語を習得する事ができました。私自身も、少し難しい単語を見ると、「あ、昔、宝の単語テストで覚えたな〜」なんて、思い出した瞬間が多々ありました。今、20年以上経ち、宝学院でやった事がまた活きるだなんて、本当に不思議だな、と思うとともに、改めて、ジョージ先生、ゆりこ先生に感謝致します。ありがとうございました
宝といえば、英語はもちろんですが、ゆりこ先生の小論指導も、すごく覚えています!先生の的確で鋭い社会問題の捉え方と、知性溢れる文章が特に印象に残っています。実は、娘の志望校の一つは、先生の母校でもある神戸女学院中です。いつか、またよいご報告ができるといいなと思います。これからも、FBで、近況を拝見できるのを楽しみにしております。そして、是非是非、いつか、先生にまた子供達をご指導して頂ける日がくる事を願っています!
卒業生のS君が、「先生、会社内の試験に合格して社費でMBA留学が出来るようになったので、MBA受験を手伝ってくれませんか」と便りをくれたのが2019年の年末。たまたま、久しぶりに年末年始を日本で過ごすことにしていた私たちは、日本でS君に10年以上ぶりに会いました。MBA受験にはTOEFLとGRE、そしてエッセイ、面接が必要。卒業以来、久しぶりにTOEFL単語リストと向き合ってもらい、同時にGRE対策をスカイプ個別で始めました。昨年の夏期講習はコロナで全面的にスカイプ授業になっていたのが功を奏し、彼は日本からTOEFLやSATの夏期講習にも参加。SATの勉強はGRE対策になるし、高校生の後輩から刺激がもらえるからと、仕事が終わってから、日本時間の夜10時から深夜に及ぶ授業にも耐え、TOEFL、GREで見事に目標点を達成しました。9月以降は、願書のエッセイ書き、面接対策も一緒にしてMBA受験に臨み、見事に合格。しかし、コロナの状況が悪化して、渡航の目処が立たない事態に。どうなることかを気を揉んでいましたが、この度、ついに旅立ちました。旅立つ前にS君がくれたメールの一部をご紹介します。SAT単語リストの勉強をすることが、大学院受験、大学院での勉強にいかに役立つのかがよく分かると思います。今、皆さんが取り組んでいるTOEFL単語やSAT単語の勉強は、大学受験を超えて、さらにその先の将来にもつながっているのです!「後輩の励みになるなら」とメールを紹介することを快諾してくれたS君、ありがとう。君の健康が守られますようにと毎日、祈っています。*************
ジョージ先生、ゆりこ先生
お久しぶりです。Sです。
6月からはオンライン授業を受けており、ようやく目途が立ったのと、何とか会社の説得ができ、来週遂に大学院に行くことになりました。
8/27に飛び立ち、学校では4人のシェアハウスタイプの寮に住むことになります。残念なのはコロナの関係でキャンパスから出ることが基本的にできないことです。コロナが落ち着かない限り、来年5月末の卒業までキャンパス内に幽閉されることになります。
授業自体はものすごくペースが速く、「1年間で2年分の学びを」ということで2週間に一回、中間または期末試験があり、期末の後に1週間の休暇があるというのを繰り返す感じとなっています。とにかく今はついてくことに必死です。
SATの単語リストに出てきた単語がたくさん出てきますので本当にやっておいてよかった、と思っています。テキストの中で少し読み進めると必ず何かしら単語リストの単語が出てきます。先生のしごきのおかげで辞書に頼ることはほぼないですが、前に入った日本人が「地獄だった」という気持ちもよくわかる気がしました。
またメールいたします。引き続きコロナ禍ですのでくれぐれも御体ご自愛ください。
昨日はJuly 4thでした。昨年のJuly 4thはみんなが息を潜めてじっとしていましたが、今年は多くの町で華やかな花火が上がりました。その花火がお祝いしてくれているかのように、晴れやかな気持ちで合格切符を持って帰国した卒業生の保護者の方から、後輩の皆さんへアドバイスのお手紙が届きましたので共有させて頂きます。出会ったのが11年生の終わりだったので、半年後に迫った9月入学の出願まで、本当に全速力で一緒に駆け抜けた感があります。コロナのせいで数々の困難に見舞われましたが、くじけることなく、粘り強く努力を続けた結果、見事に大輪の花を咲かせました。そして、1650名以上いる卒業生の中でも、特に温かい思い出とともに振り返ることの出来る生徒さんの一人になられました。おめでとうございます!どうか今年は楽しい夏休みをお過ごし下さい。
******(以下、頂戴したアドバイスです)**********娘が宝学院の門をたたいたのは、ちょうどコロナが猛威をふるい始めた2020年の6月、11年生が終わったところでした。11年生の最初は別の塾に通っていたのですが、雰囲気が合わず、すぐにやめてしまいました。娘は日本の大学を希望しており、またアメリカに来たことによって日本の同級生から遅れをとっていたので、できれば9月に入学したいとの思いがありました。9月入学は早ければ12年生の冬から書類出願が始まるので、一刻も早く受験に向けてTOEFLやSATの結果を出していかなければならないのに、何をどう始めれば良いかわからない、という状態でSKYPE面接をさせていただきました。
「いくらなんでも今から9月入学は無理でしょう」と言われると覚悟していたのですが、希望をお伝えすると、「それでは4月入学も視野に入れつつ、9月入学もトライできるように最善を尽くして頑張りましょう」と笑顔で言って頂き、夏休みからの予定を組んで下さいました。道筋を示して頂いたおかげで、何を、どう頑張ればよいかがわかり、娘も見違えるように勉強に取り組み始めました。娘は勉強はあまり好きではなく、それまで塾といえば休みがちだったのですが、夏休みも9月からもほぼ休まず受講できたのには驚きました。結果として、希望していた大学の9月入学での合格を頂けたのです。これは、宝学院の35年来のノウハウに基いたご指導なくしては、本当にこのような結果は得られなかったと思います。
勉強面でのご指導はもちろんですが、ジョージ先生、有理子先生の精神的な支えは非常に大きいものがありました。コロナ禍のせいで何度もSATが中止になり、「今度こそ」と片道3時間かけて行った会場でも当日朝に中止の張り紙を見つけて落胆したこともありました。また、受けたTOEFLの結果がなかなか来ないなと思って電話をしたら、「機械の不調でSpeakingの録音がされていなかったので、今回の結果は出ません」と言われたこともありました。そんな時、先生方は我が事のように一緒に怒って、励ましの言葉を添えてくださったので、娘も投げ出さずに次に向かって頑張ることができたのだと思います。良いことがあった時も、悪いことがあった時も、「先生たちにメールする!」と一番に報告していました。
今はまだコロナ禍の影響もあり、募集要項も変則的で不安もあるかと思いますが、宝学院はその時々で、臨機応変に親身になって最善の道を一緒に考えてくれる数少ない塾だと思います。信じて頑張ってください。皆様にとって素晴らしい未来が訪れますように、祈っています。
大阪国際音楽コンクールは「関西から世界へ」という志のもと、21年前に創設された音楽コンクールです。日本国内だけでなく、世界各地で地区予選が行われ、地区予選で選ばれた人には10月に大阪でファイナルラウンドに参加する権利が与えられます。今年、待望のNY地区予選開始です!初年度なので、声楽・ミュージカル部門だけですが、これからどんどん部門が広がっていくことが期待されています。宝学院の生徒さんの中には、学校のクラブ活動でコーラスに熱心に取り組んでいる人がいますが、こうしたコンクールで自分の可能性を試してみませんか?詳細は以下のウェブサイトをご覧下さい。
New York Regional Round Top Prize Schedule Eligibility Jury Apply Contact us NE...
2016年卒業の卒業生からのお便り、第二弾です。彼もとても印象深い生徒さんの一人です。日本で高校に入学し1学期を終えた段階で渡米。現地校10年に入り、私たちが出会った時には「このままアメリカの高校を卒業するか、日本の高校に帰るか」で悩みに悩んでいました。何度も何度も彼の話を聞きました。「先生、アメリカに残ることにする」と言った彼の決断を「正しい」ものとするべく、私たちは一緒に頑張りました。決して楽な道のりではありませんでした。しかし、彼は自分の決断を「正しい」ものにするだけの力を発揮したのです。
人生、これからも決断に迷う時は山ほどあることでしょう。選択肢のPros & Consを精査することは大切ですが、もっと大切なのは、決断後の行動です。想定外の事態は避けられないのだから、Aを選ぼうが、Bを選ぼうが、結局大切なのは、その決断を「正しかった」と思えるように、後々、努力し「正しいもの」にしてしまうことだと思います。君なら、それが出来ます。これからも健康にだけは留意して、自分の夢に向かって進んでください。New Yorkで待っています。*************
ジョージ先生、有理子先生、ご無沙汰しております。
2021年3月25日をもって早稲田大学政治経済学部を卒業しました。
明日4月1日より、銀行のグローバル職として社会人の道を歩み出すことになりました。
今もニューヨークは私の第二の故郷であり、先生にご指導いただいた高校時代の英語の勉強が全ての礎となっています。大学時代にも留学中、ニューヨークの街でお世話になりましたが、3度目は、自らの力でアメリカへの切符を勝ち取りに行きたいと思います。いつの日か、世界金融の中心地New Yorkで働くことができるよう、TOEFLやSATの単語を地道に勉強したように地道に目の前の仕事をこなしていきます。
宝学院の後輩の皆さんも、先生を信じて目の前の学びに没頭してみてください。必ず、道は「開ける」のではなく「開く」のが、宝の生徒かと信じています。
最後になりますが、皆さまお体にお気をつけてお過ごしください。
日本ではもう桜が咲き、卒業の季節です。2016年に宝学院を卒業して行った皆さん、日本の大学のご卒業、おめでとうございます!心よりお祝い申し上げます。さて、その中で嬉しいご報告を以下、ご紹介します。コロナ禍がまだまだ収束しない中、医療の第一線に出ていくあなたの健康とご活躍を心から祈っています。***************ジョージ先生、有理子先生、ご無沙汰しております。本日3/26、上智大学卒業しました(^^)やっと報告できましたっ!!(嬉)
プラス、同日国家試験合格発表があり、無事合格いたしました!一安心です。もう6日後には都内の病院で1人の看護師になります。とっても不安で、でも楽しみです。1人の社会人として、看護師として、これから頑張っていくのでまたちょこちょこ報告させてください(^^)いつもいつも気にしてくださってありがとうございます!
このような嬉しいご報告ができてとっても嬉しいです。
先生方もお身体に気をつけてくださいねっ。
よかったら、写真見てください。
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